【第43話】たまには思い出話でも

年末になり劉さんと会った。

 

楽願亭を辞めて横浜の友人の居酒屋を

 

手伝ったりしていたようだが暇そうなので

 

「中華料理の店一緒にやらない?」と声をかけた。

 

二人で店の場所を見に行った。

 

劉さんも俺と同じで

 

「ここはダメじゃないですか・・。」

 

見たいな感じだった。

 

少し考えて返事は「やります。」

 

といった感じだった気がする。

 

ただし、料理人を四川省の成都から呼びたい

 

というのが劉さんの意見だった。

 

俺は特に考えもせず「いいんじゃないの。」

 

といった。

 

劉さん曰く、四川の料理人は、級があり一級の上の

 

特級調理師を呼んで本格四川料理を船橋でやりたい。

 

その当時船橋には・・というより四川の料理人事体、日本に少ない。

 

やり方はこんな感じだ

 

入国管理局に書類を提出する。料理人招聘と言う事だ。

 

そこで問題がなければ重慶で簡単な面接を

 

行こなわれ外務省経由で就労ビザが発行される。

 

一年ぐらいの期間だろうか?

 

その当時の劉さんはいま一つ自分の料理に

 

自信もなかったようで料理人を呼ぶ事にこだわっていた。

 

俺は店の前が京成の入り口になるんなら

 

そんな難しい事しなくてもいいんじゃないか?と思っていた。

 

なぜって?

 

駅前で人通りが多ければ普通の味であれば中華はお客さんは入る(笑)

 

 

入管に出す書類が簡単でなかったので

 

15万ぐらいした行政書士さんに頼んだ。

 

さすがプロだった。

 

書類を作成して入管に提出。

 

一ヶ月ぐらいだっただろうか?

 

記憶が定かではないが入管の許可が下りた。

 

あとはそれを四川省に送りビザが

 

発給されるのを待つだけとなった。

 

ビザの発給のために重慶に行った料理人は

 

面接で緊張してしまったようだ。

 

調理師期間の最低条件が10年以上と言うのをどこで

 

どう勘違いしたのか、同じ店で10年以上働いていた。

 

という書類を四川省で作ったようだった。

 

実際は何ヶ所か仕事場を変えていたが

 

それはそれで問題はない。

 

面接のときその事を質問され

 

シドロモドロになってしまったようだった。

 

それにしても嘘の公正証書や書類が簡単に

 

中国では作れるのには俺も後で驚いたが・・・。

 

結局は・・ビザが下りなかった。

 

その後2回、行政書士に頼んで書類を作成してもらった。

 

それだけでも15万×3回で45万円を使っていた。

 

 

時間が前後するが家賃だけ払っていた

 

店舗はそのままにして

 

成田空港で劉さんと二人で成都までの

 

チケットを持ってロビーにいた。

 

なぜなら、四川料理を食べるためにだ。

 

あとは・・パンダをみるために(笑)

 

この先に7年にもわたり、

 

船橋で店をやっていくのに

 

地獄の日々が来るのを

 

一つも考えていない二人だった・・。

 

ちなみに・・料理人はその後

 

何回も招聘するが一度も日本に来ることはなかった