【第30話】たまには思い出話でも

次の日・・

 

初めのうちは眼帯をして

 

営業していた気がする。

 

 

なんとなく距離感が

 

つかめないし邪魔なので

 

最終的には

 

眼帯を外して

 

焼き鳥を焼いていた。

 

 

 

「マスター若いね。また喧嘩? 」

 

なんてからかわれた。

 

 

 

内心はお前らほどじゃないぞ・・

 

なんて思っていた(笑)

 

 

 

ある日の晩・・とある人が

 

知り合いの女性社長の話をした。

 

 

 

こんど店を東京の八重洲口?

 

だったか?に店を作るという。

 

 

 

これで2件目だと。

 

その話を聞いたとき

 

 

「なんか・・

 

社長って響きがいいな・・。」

 

 

「青年実業家?

 

なんていい響きなんだ」

 

なんて単純に思った。

 

 

 

そこで俺は考えた。

 

俺も社長って呼ばれたい(笑)

 

 

その当時弟は

 

俺が一番初めに働いた

 

父親の養老の瀧 北谷津店を

 

引き継いでいた。

 

 

郊外型の店舗で

 

あったので大変なようだった。

 

 

 

養老の瀧は

 

15年ぐらい前から

 

駅前居酒屋戦争で

 

新興勢力の白木屋、ワタミにおされて

 

駅前から郊外型店舗へ

 

勢力的に店舗展開していた。

 

 

しかし時代のながれは

 

郊外型店舗から

 

また駅前店舗に移り変わっていた。

 

 

俺は弟を南砂の居酒屋に連れて行った。

 

 

やはり人の多さと

 

流れとに驚いていた。

 

東京でやってもいい。

 

と言って帰っていった。

 

 

 

俺は弟の調理技術に

 

目を付けていたので

 

ホールは

 

俺がやればうまくいくだろう・・。

 

なんて考えていた。

 

 

 

そんなことを考えながら

 

焼き鳥屋をつづけていた。

 

 

ある時・・

 

養老の営業マン伊藤さんが

 

こんなファックスを送ってきた。

 

南砂の東口駅前ローターリーの前に

 

1階2階の商業施設ができる。

 

と言うものだ。

 

 

 

その当時東口は

 

開発が始まったばかりで

 

駅前ロータリーらしきものは

 

あったが・・・

 

ただの原っぱが広がる状態だった。

 

 

弟と父親に話をして場所を

 

見てもらった。

 

 

2人の反応は・・・大丈夫か??

 

それはそうだ。

 

何も無いからだ。

 

 

 

今は開けてスナモだの

 

病院だの高層マンションだのあるが。

 

 

 

その当時は

 

遠くに東陽町のマンションが

 

見渡せる状態だった。

 

 

だけど俺だけは違った。

 

 

 

焼き鳥屋のときも

 

今回、店を探していたときも

 

感じた事がない

 

 

感じを感じていた。

 

 

駅のエスカレーターを

 

上がった所に見える。

 

チェーンの居酒屋。

 

 

競合店は2店舗しかない。

 

(ビルの構造上)

 

 

 

ましてや南砂には

 

その当時60席ほどの

 

チェーン居酒屋はなかった。

 

 

エレベーターから上がって

 

広場に出たとき

 

俺は感じた。

 

 

ここだ!

 

ここしかない!

 

ここでできなきゃ

 

この先はない!

 

と本気で感じた。

 

 

工事の着工は

 

半年ほど先との事だった

 

 

 

焼き鳥屋の営業を続けながら

 

日に日にもう少し大きい店を

 

やりたい気持ちが

 

大きくなっていった。

 

 

でも個人が新築の建物に

 

入るのは簡単じゃない事を

 

この後・・

 

思い知ることになる。

 

 

それが調度今から

 

10年前の事だったと思う。