【第11話】たまには思い出話でも

【第10話】たまには思い出話でも

 

二年前の3月俺は

 

大家さんから提示された条件を

 

何度も読み返していた。

 

 

 

300万近くの現金

 

そして家賃は

 

27万から33万に上がる。

 

 

 

そして大震災の後の

 

先の見えぬ不安。。。

 

 

俺は店を始めて

 

4年目初めて弱気になった。

 

 

もうだめかもしれない。。。。

 

 

初めてチャビママに

 

言ったと思う。

 

 

 

チャビママは

 

俺が苦しんでいるのが

 

判ったのだろう。

 

 

こう答えた。。

 

 

「もうやるだけ

 

やったからいいんじゃない。」

 

「わたし今度は飲食業以外で

 

働いてみたいわ。」

 

 

キツかった。。。

 

 

その晩は寝れない夜をすごし

 

お世話になっている

 

税理士さんに電話した。

 

 

そしたら

 

「公庫に行ってみろ」

 

 

俺はそれを聞いて

 

まだ何とかなるんじゃないか

 

と思った。

 

 

 

ちなみに銀行はその時点で

 

貸してはくれない状態だったと

 

書いておこう。

 

 

 

話をした。公庫で。

 

 

その当時の担当者は

 

店を知っていた。

 

 

 

それはそうだ。

 

 

近所だ。

 

 

とにかく必死に説明した。

 

 

この契約金がないと

 

店がなくなる。

 

 

あきらめきれない。。。

 

と。。

 

 

 

それから一週間。。。

 

書類が全てそろった。

 

 

 

担当者は静かにこう話した。

 

 

 

「書類は全てそろいました。

 

期待はしないでください。

 

会議にはかけます。」

 

 

 

それが終わり全てを

 

チャビママと劉さんに話した。

 

 

震災のあと

 

劉さんは日本に残っていた。

 

 

 

周りにいた中国人が

 

みんな帰っているのに。。。。

 

 

 

大震災後の困難な時期を

 

いっしょに切り抜けた事もあり

 

劉さんとのわだかまりは

 

無くなっていた。

 

 

 

そしてこう言った。

 

「公庫が通っても

 

家賃が6万もあがる」

 

 

 

「300万近く借りたら5年払いで

 

月に6万弱の支払いを

 

しなくてはいけない。」

 

 

 

「固定費が12万上がるという事は。。

 

劉さんの給料は払えない。」

 

 

 

「今まで店をやって来て作った

 

借金と合わせると直ぐに

 

潰れるだろう。」

 

 

 

「だから店を二つにする。」

 

 

 

「劉さんは10坪程度の店をだす。」

 

 

「俺と直子でココを

 

火鍋の店として続ける」

 

 

それしか方法はなかった。

 

 

しばらくして

 

不動産やから問い合わせがあった。

 

 

 

もう待てない。。。

 

どうなってるのか??

 

 

 

期限を言われた。

 

三月いっぱいまで待つ。

 

 

 

正直に言おう。

 

あきらめていた。

 

 

 

俺は日野自動車の住み込みの仕事を

 

真剣に検討していた。

 

 

 

電話があった。

 

 

 

公庫からだ。。

 

 

 

心臓がなった。。。。

 

 

返事を聞きたくなかった。

 

 

 

担当者はこう告げた。

 

 

 

 

「保証人を誰か付けられますか?」

 

 

その瞬間に

 

俺は可能性を感じた。

 

 

 

その一週間後に融資が通った。

 

 

今だから言うが

 

融資が通らなければ

 

会社で借りていた借金を

 

返す事もできないと考えていた。

 

 

自己破産を

 

考えていたのは事実だ。

 

 

 

しかし、苦しみながらでも

 

店を続けろと

 

死んだ爺さんが

 

言っているような気がした。

 

 

 

俺の店は。。。生き延びた。