【第10話】たまには思い出ばなしでも

三年目が過ぎ

 

四年目に入ろうとしていた。

 

 

 

一年目にホットペッパーに18万

 

ぐるなびに15万とか

 

払うような宣伝はしなくなり

 

ぐるなびに5万円払う

 

ぐらいになっていた。

 

 

劉さんの味にお客さんも付いていた。

 

 

しかし経営となると

 

相変わらず安定していなかった。。。。

 

 

 

今月黒字になりそうだと

 

下水がつまり20万の出費。

 

とか。。。

 

エアコンが壊れて。。。

 

修理代。。。15万円とか。。。

 

 

税金を払ってみたら

 

資金繰りに苦しくなったりとか。。。

 

 

そんな状態だったので

 

弟と積み立ていた

 

保険を内緒に解約したり

 

カードの現金の枠で穴埋めしたり

 

親戚に借りに行ったりして

 

やりくりしていた。

 

 

 

ちなみにその時の資金繰りで

 

延滞を起こしたりして

 

カードは現在使えない。

 

 

外食でいつも現金なのはその為だ(笑)

 

 

 

毎月、月末になると頭を抱えていた。

 

 

そんな時。。弟との電話のやり取りで

 

「一緒に会社をやっているけど。。

 

抜けたいんだけど。。」

 

と言われた。

 

 

東京の店は弟が

 

全部やっていたので

 

俺は二つ返事で

 

「いいよ」

 

と答えた。

 

 

弟達には俺の店が

 

沈みゆく船に思えたようで

 

巻き添えは。。。

 

ごめん。。

 

と言う感じだっただろう。

 

 

 

表面上は冷静に話したが

 

心の中の声は違っていた。

 

 

『今に見てろ。。

 

俺はこれで終わりじゃない』

 

と思っていた。

 

 

その年の2月劉さんが

 

成都に里帰りする時期になった。

 

 

 

これが毎年頭痛の種だった。

 

 

 

劉さんがいない間は

 

料理人を雇ったり

 

やり繰りしていたが

 

さすがに4年目は

 

それを払うのも

 

苦しい状態に追い込まれていたので

 

チャビママと話し合った。

 

 

 

「どうする?」

 

俺は言った。

 

 

話しているうちに

 

劉さんがいない間

 

火鍋だけで

 

営業しようという事になった。

 

 

 

これが俺達の流れを変えた。

 

 

試しにやってみて

 

二人の間に自信が生まれた。

 

いける!

 

2人でも営業できる。。。

 

と。。。

 

 

 

ただしその時の経験で

 

火鍋だけ提供するには

 

火鍋を改良しないと

 

お客さんが納得しない

 

という事も判った。

 

 

 

収穫は大きかった

 

 

その後。。

 

劉さんが帰ってきてからも

 

 

 

俺達は休日を返上して

 

火鍋だけの提供を始めた。

 

これが意外に楽しかった。

 

 

 

もともと俺は自分ひとりで

 

やるのが好きだ。

 

 

 

煩わしい人間関係もなく

 

朝早くコツコツ仕込みをして

 

営業になれば人に指示せずに

 

自分で料理を作り

 

自分で納得した料理を

 

提供する。

 

 

そしてホールには意識の高い

 

チャビママがいる。

 

 

 

そんなことを

 

続けていた四年目の春だった。

 

 

 

人件費に悩む経営から

 

抜けられそうな気がした。

 

 

 

しかし。。。

 

3月10日。。

 

そう震災の前日

 

 

 

俺は大家さんに呼ばれた。

 

 

店の更新についての

 

話し合いだった。

 

 

 

提示された条件を飲むには

 

総額300万近くの

 

現金が必要だった。

 

さすがの俺も

 

その時は。。。

 

途方にくれて店に戻ってきた。

 

 

 

そんな金はどこを探してもなかった。

 

 

 

そして次の日に大震災を向かえた。